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とりあえず毎日本を読んでいるので、そろそろ脳内と本棚を整理してみようというココロミ。

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宿神 4巻

宿神 第四巻 (朝日文庫)宿神 第四巻 (朝日文庫)
夢枕 獏

朝日新聞出版 2015-04-07
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宿神 1・2巻
宿神 3巻

「願わくは 花の下にて 春死なん その望月の如月の頃」



やはり西行と言えば、浮かぶのはこれだろう。
凄い詩だ、と思う。
「2月に死にたいものだ」と詠み、本当に彼はその頃に没する。
こんなにも美しく「死」という儚いものを詠んでいるのに
何かこう圧倒されるような力を感じてしまう。

2巻で中宮妃・璋子(たまこ)が病没し、出家した義清(のりきよ=西行)は
ただその想いを引きずったまま齢を重ねていく。
そんな西行の他にも、尋常でない思いを抱えた人間がいる。

武家の世を欲し、ただ高みを目指す清盛。
友の妻を愛してその命を絶ち、尚も忘れられぬ文覚。
芸を愛し、ただ思うままに生きた後白河上皇。
誰からも顧みられず、孤独で我を失った崇徳院。
他にも白河法皇や璋子、清盛と手を組んだ信西、
藤原摂関家や源氏など、多くの欲望が渦巻く。

本書はまさに「平家物語」だ。
平家物語は通して平氏の栄枯盛衰を語ったものだが
同時にそれは人の欲望のシーソーゲームでもあり、
誰かがのし上がれば誰かが落ちるという
無情な理(ことわり)を描いた物語と言える。

そうしてまた西行も、因業を身の内に抱えていたのではないか。
ただしそれは人の欲というモノを遥かに超えた
もっと強欲で、無垢なものだ。

本書の西行は、世ならぬものが見える。
世の中の全てのものに宿り、ただ「在る」だけの存在だ。
これを「宿神(しゅくじん)」と呼ぶ。
普段「在る」だけのそれらは、何かに没頭する心に惹かれるように
ざわざわと這い出して来て、うごめく。

それを善か悪かと判じるのは人であり、宿神はやはりただ在るだけだ。
恐らくは日本の八百万の神という思考の大元であり、
「神とは何か」という哲学思想の近いものじゃないかと思う。
本書は平家物語の現代訳語版としても楽しめるのだが
人の及ばぬ力というフィルターを通す事で、色々な読み方が出来るように思う。

自分が読みたかったのは崇徳院だったが、
院だけでなく、激しい思いが渦巻いていた時代だったのだと思えたのは
個人的にちょっと楽しい気付きだった。
考えようによっては、院は怨霊になったのではなく
多くの欲の中でどろどろしたものになってしまった世界に
取り込まれてしまったのかもしれない。

そしてまた別の視点で見れば、詩歌を通して
巡る季節の美しさを巧みに操った西行という男こそが
この世の全てを手に入れたのではないかなどと思ったりする。
本来、人の自由になる物でない「死」ですら手玉にとり
望む如月の季節にその生涯を終えたのだから。

出世や金など、あの世に持って行ける訳ではない。
ましてや恨みを引きずっていては、あの世にすらいけない。
ただ微笑んで死を受け入れると言う
最期の一瞬を得るために、彼は出家したのではないだろうか。

ただ「在る」ということを受け入れる。
それは単純でいて、難しい。
西行は美しい強欲と無垢を極めた、幸福な人で在ったかも知れない。

個人評価:★★★★


最近ミョーに忙しくて、ラクガキする時間がねえ。
ので雑談。

崇徳院のことを調べてる内に、「菊タブー」という言葉を初めて知った。
菊とは「菊の御紋」のことであり、天皇のことだ。
要は天皇家に対して悪評やパロディ的な作品は
まだまだ慎まれる傾向にあるって意味だと思われる。

「桜タブー」「鶴タブー」なんて言葉もあるらしい。
※興味のある人は自分でぐぐってください。
最近はネットというツールもあるので完全なタブーではないのだろうが
崇徳院の小説が全くないというのは
ある意味まだ「タブー」なんではないかと思い始めた。

今でも四谷怪談などはちゃんとお参りをしてから
舞台や映像化するなんて話も聞いたことがあるから
怨霊という意味でのタブーもゼロではないと思うが
道真公や平将門は結構本になっている事を考えると、
やはり院は別格なんじゃないだろうか。

そう考えると崇徳院の小説というのは、一生読めないのかもしれない。(苦笑)
むーん、よもやそんな高い障害の可能性があっただなんて。


■暇がないとか言いながら、ちょっと描いてみた鳥獣戯画


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