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悼む人〈下〉

悼む人〈下〉 (文春文庫)悼む人〈下〉 (文春文庫)
天童 荒太

文藝春秋 2011-05-10
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「悼む人(上)」の続き。



3つの視点から進む「悼むこと」への問い。
元殺人犯の女性とエグい記者の章は「いかにも」という感じなので
正直なところ、フツーにお話として読んでしまった。
母親の章を読む為に再読したので、こちら中心の話になる。

死者の最期の場所を訪ね、その生前の姿を尋ねる「悼む人」。
尋ねられた者は一様に不審な顔をし、その意味を知りたがる。
だが「悼む人」は、ただ悼みたいだけだと言う。
怪訝ながら口を開く者もいれば、嫌がる者もいる。
中には、嬉々としてその思い出を語る者もいる。

一度だけ「悼む人」に会った記者は、サイトを立ち上げて情報を集めようとする。
ほとんどが気味が悪いだの偽善という誹謗中傷のなか
少数ながら感謝や「来てほしい」という書き込みが見られる。
そのくだりを読んで、ふと思う。
悼みに救いを感じている人は、死を身近に感じた人たちなのだ。



数年前にこの本を読んだときは、共感できなかった。
自分はまだ「死」を身近に感じていなかったのだ。
それこそが「生きている」ということなのだろうが、
世の中はままならないものだ、と思う。



母親の病状は静かに進行していく。
少しずつ不自由になっていく日常生活の中に
それでも自分の存在への価値を見いだそうとする。
叶わないかもしれないと思いながら
娘の出産予定日まで生きていられたらと思う。
息子が帰る日まで生きていたいと思う。



ここを読むのは、辛かった。
義母は自分が癌であることも知っていたし、延命治療も拒んでいた。
だが再々発が分かり、「年内は持たないかもしれない」ということは
結局告げることが出来なかった。
家庭によって考えはそれぞれだろうが
「自分だけが此処から消えてしまう」という共有できない疎外感は
家族にとっても辛いものなのだと、今は思う。

全てを受け入れたうえで、家族の為に気丈に過ごす。
いかにも物語の上の美談のようだが
多少状況は違えど、義母は本当にこんな人だった。
もう本当に、読むのが辛かった。

旅先で何かを見たり聞いたり、人に出会ったり
あらゆることに「感謝しなきゃねえ」と手を合わす人だった。
治療が終わったときも、「感謝感謝」と笑っていた。
最後に電話をした時も、「なにも思わなくていいのよ
私は本当にいい人生だったんだから」と言われた。

敢えてそう言ってくれたことは分かっている。
最期まで義母は家族に感謝し、それを口に出してくれていた。
それがどんなに残された者を救うのか、知っていたのだろう。

義母が息を引き取った時は、自分まだ東京にいて
翌朝1番で行く準備をしていた。
義姉が病院についていてくれたことだけが救いだが
相方のケツをひっぱたいてでも、前日に帰すべきだったと後悔している。
逢いたかっただろうな、と本書を読んで何度も思った。

自分達が家に着いたとき、坊さんが枕経をあげてくれたところだった。
間に合わなかったのだとつくづく思った。
が、坊さんは「お話してあげてください。まだお耳は聞こえていますよ」と
静かに微笑んでくれた。
残された者を救う話だとは思いつつ、鼻の奥がつんとした。



「悼む人」の受け取り方はそれぞれだろう。
彼のように見知らぬ死まで全てを受け入れることは、不可能に思う。
例え、たった3つの質問でもだ。
人は生きていくために、忘れることも大事な通過点になる。
そういう意味で自分は、共感はしなかった。

ただ「愛する人、愛された人、感謝されたこと」
という削ぎ落された3つの質問は、そうかもしれない、と感じた。
忘れるというのは、忘却することではない。
その人を何時までも思い出せるよう、
その人が残そうしたものだけを心に保管しておくことなのだろう。

まだ後悔が先に立ち、そこまで都合よく解釈はできないが
義母が「感謝感謝」と手を合わせていた姿は、残しておこう。
週末は義母の四十九日、その日に納骨もする。
墓前に手を合わせて、感謝したい。



最期まで義姉の、そして相方の「母」であってくれて
本当にありがとうございました。


個人評価:★★★★



今日は漫画なしで。
や、単にバタバタして描く時間がないだけなんだが、
中国に旅行した時のネタがあるので、またいずれ。
義母じゃなくて相方のネタだが。(笑)


ここで何度もネタにしているが
ウチのおかんは割と「母」よりも「自分」が出てしまう人なので
義母に会ったときはちょっと感動した。
常に義姉と相方に「親」というスタンスをとっていて
それが押しつけがましくなく、よいお母さんだなと思った。

最期はもう話すことが出来ず
義姉と筆談をしたらしいが、それも字の形になっていなかった。
それでも娘へ「ありがとう」という文字があったのが判別できた。

最後の1行だけ、義姉も筆談をしていた。
聞こえている様子がなかったのかもしれない。
義姉の字で「ありがとう。幸せでした」と書かれていた。
本当に、義母が一人で逝かなくてよかった。
義姉にも感謝しきりだ。



戒名にも「常に感謝を忘れない、明るい人柄だった」
という意をこめたものを、坊さんがつけてくれた。
今まで一番近い葬式は祖父母だったが
はじめて「家」から葬式を出して、日本の葬式というのは
遺族によりそったものなのだなと思ったりした。

手続き等がほぼギリギリまであり、
亡骸からお骨になるまでのカウントダウンに浸る暇がない。
お骨を持って仏間に帰ってくると
どこかでほっと一息ついた心地になる。
喪失感がほんの少し、引き算されてしまうのだ。

この後に遺品整理などがあると、また気持ちも乱れるのだろうが
義母はここまで自分でやってから逝ったのだから、頭が下がる。
入退院を繰り返していた頃に、暇を見て片付けていたらしい。
箪笥の中はほぼ空っぽで、引き出しにハガキが数枚入れてあり、
「私が死んだら投函してください」と義母の字があった。



素敵な人だった。
お蔭で自分は最期まで義母を好きでいられた。
───ということを生前に伝えられなかったので
今回は評のような日記のようなものになってしまったのだが。


週末は、晴れるといいな。

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